第6回「自然との繋がりを感じていたい」
- 【第1回】
- 2018-08-02
「小さな選択の積み重ね」
- 【第2回】
- 2018-08-09
「自分のやり方を作ろう!」
アーユルヴェーダ医学と自然
- 池田
- その必要なことというのが「健康」。それが提供できる仕事がアーユルヴェーダ医学なのだな、と改めて思います。
そしてもう一つが「自然」。自然から離れていくと、色々なことがだんだんわからなくなっていく気がします。
逆にいわゆる「太陽は昇り朝が来て活動が始まり、沈み夜になり休息する」といったような自然の法則やリズム。
そしてそのリズムに則っていると、人ってそんなに不幸にはならないんだなということもわかりました。不幸というか、変な風に迷わなくて済むというか。
自然の中に包まれると人は穏やかになれたり、病気が治る為に必要な自己治癒力を喚起されたりする。
そのような環境をも含めた医学であるアーユルヴェーダの部分にもっともっと携わっていきたいですね。
- 田端
- ほんとですね。
- 池田
- あと、10年間ほぼ毎日施術を続けてきて思ったのは、やっぱりそうは言っても人が人に対してできることには限りがある、ということ。
この宇宙の中の、地球の中の、自然の中の一部としての小さな人間っていう事実は絶対超えられないから。
だけど、逆説的かもしれないけれどそれら全てを内包したのが人間でもある。そう言った考え方を含めた医学であるのがアーユルヴェーダ。
自然の中にいれば、いろいろなことが在るべきように戻ったりするのになあ、って都会にいてふとした瞬間にやっぱり思ったりします。
自然って元々そういう意味の言葉ですものね。
しぜん、じねん、本来のありようというか…。
あるがままの状態。
- 田端
- 本当に、私もアーユルヴェーダによって気づくことが多いです。
あと、早紀さんに聞きたいなと思っていたのが、東京というこの街で生きている以上、「お金」というものの存在を無視出来ないと思うのですが、アーユルヴェーダではお金や資本主義の社会をどのように捉えているんですか。
もっと自然を感じていたい
- 池田
- アーユルヴェーダのではお金は、アルタ(財)といって人生の4つの目的 ※のうちの一つです。
ただ、アルタ(財)のみが目的になってしまい、それだけに執着してしまうとバランスが崩れてしまうんですよね。
また、財が人生の目的となる理由としては、自分自身が楽しめるだけでなく、他人への援助も多くできるからとアーユルヴェーダでは言われています。
ちなみに、古代インドにChanakya※という哲学者であり、政治家がいて。
その人が残した都市計画に関する言葉があって、
都市は4分の1を街に、4分の1を森に、4分の1を草原に、4分の1を畑にするとよい。
街は人が住むため、畑は食料を得るため、草原は牛や、家畜が草を食むため、森は学習するために必要だ。
資本主義社会云々の前に、例えば緑が10分の1しか無くて、あとは建物など街の部分が9割。
森も無い、草原もない、畑もない。
そんな都市の中に人が暮らしていると多分おかしくなっていくだろうなってことはすごく思う。
判断の過ちが起こりやすい。つまり、間違った決断しかできなくなるんじゃないかと…。
- 田端
- なるほど。
- 池田
- 北欧フィンランドのヘルシンキに住んでいた頃、「森に入る時間がなかったら人は狂っちゃうよ!」ってフィンランド人がよく言っていたんです。
ヘルシンキという首都で働く人たちでさえ。
そしてそのまま週末はみんな銘々に森に行ってしまう。街のキオスクやスーパーも閉まってしまう。
わーすごいっ。
これだよね、うんうん!
いいなあって思っていました。
実際にフィンランドの人は、自分が生活する家とは別に、森や湖畔の方にMökki(モッキ)と呼ばれる小屋を持っていて、週末はそこにいって静かな時間を過ごすのが一般的なんです。
中には電気もガスもない方がいいんだ。と言って好んでそういう時間を過ごす人もいましたね。
- 田端
- カナダでも休暇を自然に囲まれた別荘で過ごす人がたくさんいます。
皆、バランスをとっているんですね。
- 池田
- すごくそれが人間の自然な感覚だなあって思っていました。バランス、うん。
でも、そんな森の中に行ってる暇なんかあるんだったら、お店営業した方がいいじゃん、その間に稼げるじゃん、ってバランス取ることを否定せざるをえない状態は、たぶんもう…
- 田端
- どこかおかしくなり始めている…。
- 池田
- うーん…。
例えばやりたくてやってる訳じゃないのに、それに突き動かされてる状態や、やらなきゃいけないからやっているのが当たり前だ、というのはちょっと危ないと思いますね。
まず自分の心も体も調和の場であるということをあまりにも軽く見てしまうと、結果、自分自身の体を壊したり、精神を損なっていってしまう。
もちろん、行きつ戻りつしながら、失敗も含めて、いろいろな経験を通して成長していくことが生きている醍醐味でもあると思うのですが、自分自身の声が聞こえなくなってしまった結果の過労による死や、うつ病などはその最たる例で。
それを見ているのはとても辛いです。
- 田端
- 辛いですね。痛々しい事件も多くて。
自然を感じて、息継ぎしていきたいですね。
- 池田
- ね。
都会の中でもいつも自然を感じていたいなあと思います。
好きで、植物を家の中にたくさん置いていますが、本当に豊かな自然の中で暮らしていたらこんなことを自分はしないのだろうなあとも(笑)。
そしてテレビよりも音楽よりも、もっと風の音や波の音を聞いていたいなーと本当のところでは思っています。若い頃から(笑)。
人間と自然との繋がりを常に感じて幸せでいられるという生き方を、アーユルヴェーダ通して今後もしていきたいです。
都市にいても、どこにいても。
そして東京でもう随分暮らさせてもらっているので、これから先のこの街にそんな風に寄与していきたいと最近は漠然と思っています。
- 田端
- いいですね。
未来の東京が、よりよくなるように。
- 池田
- これからもたくさんの人が暮らす東京でもあるのだから。
そういう意味では、緑の中にちょこんと人間が暮らしているようなボリュームで、それでいて首都として機能しているヘルシンキは、私にとっては理想的な都市でした。
もちろん人口が日本とは比べものにならないほど少なく、規模も小さいからこそ可能な都市計画なのですけど。
人が自然を求めて旅行に出たり、温泉に行って疲れを癒すレクリエーションの人気がどんな時代になっても衰えないのは、やっぱり人が自然の中にいると根本的には元気になるからだろうなって思います。
- 田端
- やっぱり、どんな世代でもリフレッシュできますよね。
- 池田
- 人と自然が根本的に繋がっていて、その叡智を借りた治癒の形がアーユルヴェーダにはたくさんある。
それを、生きている間により多くの人と体感、シェアできたらいいなと思っています。
- 田端
- 素敵。私もその一員でありたいなあ!
今日は、早紀さんの今まで、そしてこれからの話を聞けて嬉しかったです。
- 池田
- 私も春奈さんのお話がいっぱい聞けて嬉しかったです。面白い話がたくさんありましたね。
アーユルヴェーダの体質論でいうと、ステレイオタイプな経営者といえば合理的で上昇志向の常にあるPitta(火)※タイプなのですが、どちらかというとKapha(水)※タイプが優勢な春奈さんのような社長は珍しいですね。
Kapha(水)企業家である、春奈さんにしかできないやり方で、皆にこれからも柔らかで優しい価値観と商品を届けて欲しいです!
- 田端
- はい。
これからどんな展開が待っているのか、私自身ワクワクしています。
自分らしく、続けていきたいと思います。
ありがとうございました。
My Favorite Novao Bottle
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【対談を終えて…】
”気になるあの人”に聞いてみたい!
その思いからスタートした、対談企画。
逆インタビューされてしまう予想外の展開に戸惑いながらも、尽きることのない話題に夢中になり、気が付くと3時間も話し続けていました。
対談では、聞きたいことが、次から次へ…。別の機会に、第2弾として企画してみたいです。
また、普段から早紀さんはよく褒めてくれます。
そんなことないんです…と恥ずかしい気持ちを今回、一旦置いてありがたいと受け入れると、なんだか自信がついて更に元気になりました。笑
さすがセラピストです。
今月から、早紀さんのコラムが始まります。
テーマは『アーユルヴェーダと更年期』
女性ならば誰でも通る閉経、そして更年期のこと。
理解が進めば、不安やなんとなく寂しい気持ちではなく、未来が楽しみになるんじゃないかな。と思いコラムをお願いしました。